幸せになりたいって実は本気で思っていない?
「幸せになりたいと思ってるのに
全然幸せになれません。
それは、どうしてですか?」
ということがよくあるのは、
「実はどこかで幸せになることにブレーキをかけている」
からだと言われています。
例えば
「親より幸せになってはいけないのではないか」と思っていたり、
「大変な自分」のほうが安心できていたり、
ママ友のコミュニティで、「幸せだと妬まれる」と思っていたり、
「大変だよねー」と言い合っているほうが、
「同僚とつながっているようで楽だ」と思っていたり……。
私は、心理学の専門家ではありませんが、
多くの著者の方の企画を一緒につくっていると、
そういう「集合潜在意識(集合的無意識)」ってあるなあと実感します。
幸せになることが社会貢献
そういえば
私は「幸せになりたい」と思ったことはないように思います。
というのは、私は、
「苦痛な状態にいることに、全くもって我慢できない」体質で、
悩みや問題やいやなことなどは、抱えたままではいられません。
悩みがあったり問題があったりすると、
全力でそれを無くすことに取り組みます。
これは、あくまでも、自分の感覚です。
他人が、それは問題であるとか、問題が解決できていない、
というのとは、全く関係ありません。
私は、自他共に認める相当な「わがまま人」です。
物心ついたときからこういう性質だったので、大変です。
わがままを通すには、それだけのことをしなければならない、
という繰り返しです。
例えば、
高校に入学したとき、野球部のマネージャーを志望したのですが、
その高校は「女子マネ」を採用していませんでした。
その反動は、なぜか
「女子ソフトボール部を創る」ということに転換されます。
あるいは、
私は、独立したい、家を出たい、と強く思う子どもだったのですが、
それは、「新聞奨学生として学校に通う」
という選択肢になります。
これらのことは、ほんの一例で、
わがままな自分の欲望を正当化するための、
さまざまな作戦を考え続けている人生ともいえます。
しかし、お陰で
「幸せになりたい」と思ったことはありませんが、
本当に「幸せな人生」だと思います。
まず、わがままを通してこられたこと、
また何より、
この「わがまま」に巻き込まれている私の周りの方々がいて、
「わがまま」にもかかわらず私とおつきあいくださっている……
こんな幸せなことはありません。
私は、自分のわがままで、
女子ソフトボール部をつくったり、新聞奨学生になったりしたわけですが、
「学校が悪いから、野球部のマネージャーになれなかった」とか
「親が許さなかったから、家を出られなかった」
といって、何かのせいにしてくすぶっているより、
女子ソフトボール部をつくれたり、
新聞配達をすることで、独立の一歩を踏み出せたり、
「わがままを通すためにそれだけのことをした」ことが、
おそらく、結果としては、よかったのだと思います。
本を出すことで幸せになる理由
なので、私は、
「みんな、もっとわがままになろうよ!!」
って思います。
わがままになれないのは、
「自分の欲求にフタをしている」か、
「自分の好みを調整してしまっている」
からかもしれません。
本を出す行為というのは、
自分の論、見解を整理して主張するということです。
自分の好みや、自分の欲求や、自分の主張を、
思いっきり、解放して、伸ばして、実証して、
役に立つものとして他者にも伝え、
再現性をもたせたカタチにする……
スタートは、自分の欲望ですが、
それが、やがて、人々の役に立つものになっていきます。
中途半端なわがままだから、
「そんなの、わがまま!」とか「迷惑!」などと言われて、
「そうか……」としょげて終わってしまうのではないでしょうか。
「本を出版する」「本を書く」ことをスタートするというのは、
今まで「そんなの、わがままじゃん!」と言われ続けたことに、
逆に「まだまだ、もっともっと究めて」と期待されることです。
内なるパワーをもっと解放してください。
他者から苦言を言われるうちは、まだまだ中途半端なのです。
しっかりその時期を乗り越え、
人々に役立つ方法まで見つける。
結果、幸せが手に入ってきます。
本を出す勇気を持つことで、
自然と幸せを感じられるようになっていきます。
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