葬儀から壊れていく家族

『葬儀から壊れていく家族 』
橘さつき
さくら舎
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【人は死ぬから生きられる】

最近、人が死ぬというのは、とてもよくできたシステムだと思っています。
もし人が死ななかったらどうなるでしょう。

締切はなくなり、
「いつかやればいい」が永遠に続きます。

今日やらなくてもいい。
明日でもいい。
100年後でもいい。
そんな世界では、
きっと人は今ほど真剣には生きないでしょう。

死という締切があるから、
私たちは今日を生きる。

だから私は最近、
死を不幸な出来事というよりも、
人生を成立させる大切な仕組みの一つとして感じています。

『葬儀から壊れていく家族』
を読むと、
そんなことを考えます。

この本には、
介護、葬儀、お墓、相続などをきっかけに、
家族の関係が壊れていく事例が数多く描かれています。

読んでいて感じたのは、
「葬儀が家族を壊すのではない」
ということ。

そこには以前から存在していた感情があります。
言えなかった不満。
認めてもらえなかった寂しさ。
兄弟姉妹への嫉妬。
親への怒り。
そして自分でも気づいていなかった感情。

それらが、
人生の終わりというタイミングで、
隠しきれなくなるのです。

私は両親は、すでに見送りました。
また、
自分が死んだあと、
子どもたちに何を残すのかを考えます。

そんな中で感じるのは、
死とは、
自分一人の問題ではない。
死とは、
「拡張された自分」と向き合う時間なのだと。

私たちは、
自分だけで生きているわけではありません。
家族というルーツを持っています。
文化も受け継いでいます。
価値観も受け継いでいます。
体質も受け継いでいます。
生きる知恵も受け継いでいます。

そして、
自分の行動は、
自分が死んだあとも誰かに影響を与え続けます。

だから人生とは、
自分一人の物語ではなく、
ずっと続いていくリレーのようなものなのかもしれません。

とはいえ、
家族ほど難しい存在もありません。

近いからわかるわけではない。
むしろ近いからこそ見えなくなる。

近親憎悪という言葉があるように、
似ているから腹が立つこともある。
家族だからこそ許せないこともある。

そして何より、
相手だけではなく、
自分自身のこともよくわかっていない。

だから人生は、
家族を理解する旅というよりも、
自分の中にある厄介さと折り合いをつける旅なのかもしれません。

この本を読みながら、
そんなことを考えていました。

葬儀は、
人生の途中で立つ一本の旗のようなものです。

そこまで歩いてきた人生を振り返り、
これから先、
何を残していくのかを考える場所。

そして、
自分がいなくなったあとも続いていく世界を想像する場所。

だから私は、
葬儀とは死者のためだけのものではなく、
生きている私たちが、
もう一度人生に戻るための時間なのだと思ったりしました。
(終)

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