親の介護、それでも人生思い通り!~ちょっと待った、その介護離職~

「親の介護、それでも人生思い通り!~ちょっと待った、その介護離職~」
児玉浩子
みらいパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4434272047/

 

時代の流れがどんどん早くなっています。

 

多様性も広がって、何が常識かも大きく変わっています。

 

時代の流れがゆっくりな時には、

先人のやってることを見てれば、おおよそ失敗はなかった。

 

でも、今は、先人のやってることは、

その時代は正しかったけれど、今にはあっていない。

ということがあります。

 

例えば、「結婚」。

 

一時代前は、結婚するのが当たり前。

 

独り身でいると、親や親戚から「早く身を固めろ」と言われる。

 

今は、独身のまま一生を送る人も少なくありません。

 

この本は

介護も、家族がしなくてはいけないという呪縛に囚われずに

社会制度を使って自分の人生を生きようという主張です。

 

「進んで介護をしたい」という希望があって、介護をするのであれば、

それも選択の一つです。

 

しかし、

「止むを得ず」その選択をしたとか、

「親の犠牲になった」

なんて後悔を残すなら、

積極的に、社会制度を利用・工夫して、

自分の人生を生きた方が良い。

 

親だって、子どもが犠牲になることを望まないはずです。

 

そう、人間は、全ての人が、誰かの犠牲になってはいけないのです。

 

日本国憲法でも「人権」は保障されています。

 

人の人権について、他者の人権を侵害しないようにするのは

当たり前のことなのですが、

自分の人権も守る努力は、自分でもしないといけないと思っています。

 

例えば、「いじめ」。

 

「城村さんは、声が大きいね」

「城村さんは、思いやりがないね」

という発言があったとして

私が傷ついていなければ、それは問題ありません。

 

しかし、私が傷ついているとしたら、その発言には問題があるわけです。

 

発信者が何を言ってもいいという問題ではなく、

受け手の立場になって発言する必要があるのです。

 

例えば、性差別問題、人種差別問題などなど

歴史的・社会的背景を知らずに発言をして

対象者を傷つけているとしたら、それは著者(発信者)として

相応しくない発言ということになります。

 

SNSの普及で、相応しくない発信が当たり前のようになされている今。

 

モラルの低下は、過渡期だからと思いたい。

 

人は、他者への思いやり、他者を配慮し相互に発展する生き物だと信じています。

(終)

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