小さな会社が大きく伸びる 55の最強ビジネスモデル

「小さな会社が大きく伸びる 55の最強ビジネスモデル」
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藤村しゅん
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私は高円寺に、仕事と棲家がある。

深夜番組「月曜から夜ふかし」では
「どんな人間でも受け入れてくれる街」
「何かを夢見て住むが
何かを成し遂げるにはいてはいけない街」
と表現されている。
「どんな人間でも受け入れてくれる街」
は、
多分に納得である。
本当に、住み心地がいい。

個性的なファッションのミュージシャンもいれば
巣鴨並みに、ご高齢と見える人々も歩いている。
休みの日はカップルや、子どもを連れてる人もいる。

中央線沿線では、各駅で密かなライバル意識があり
(他の地域の方からすれば、みんな一緒という声も多いが)
中野、高円寺、阿佐ヶ谷あたりでいうと、
おそらく
中野は高円寺や阿佐ヶ谷は相手でないと思っていて、

阿佐ヶ谷は、高円寺に比べるとハイソであることを
誇りに思っている。

そこで高円寺はというと
おそらく、
「そんなのどうでもいいじゃん、楽しければ」
っていう雰囲気が漂っているように思う。

それを象徴するように、かなりラフな飲み屋がたくさんある。

ビール箱をひっくり返した上にベニヤ板を乗っけた椅子で
路上まだはみ出したテーブルセットで3時くらいから飲ませる店は
1件、2件ではない。

椅子があるのはまだマシで、
立ち飲みの店もこれまたたくさんある。
10人も入ればいっぱいかというような
カウンター式のうなぎの寝床式の店に
満員電車のようにひっついて、酒を楽しみ
大きな声で談笑している。
こんな店がひしめき合っている。

ものすごい人口密度である。
なぜ、高円寺の飲み屋には人が集まるのか?

最強の55ビジネスモデルチェックリストに照らしてみると

1魅力的なコンセプト(No,1)
誰でも受け入れる街で、狭い店でひっついて酒を飲む
仲良くなれる居心地良さ

2コバンザメ戦略(No,9)
高円寺に期待してる人たちに対して、街全体コンセプトを踏襲し
受け入れ雰囲気があることで、店同士が双方コバンザメに

3セルフサービス・顧客の行動(No,24)
狭いので、客が自分で工夫しないと酒が飲めない。
酒を回したり、声が届かない客の注文を伝達したり
なるほど、ちょっと照らしてみるだけでも納得する。

私は、まだ10年ほどの新参者だが
すでに、よその街から帰ってくると、ほっとしたりする。
そういえば、
「月曜から夜ふかし」では、ちょっと気になる言葉も。

「何かを夢見て住むが
何かを成し遂げるにはいてはいけない街」

居心地が良すぎて、野心が丸くなるのか。

高円寺の街でのマーケティング戦略が
意図して仕掛けられているのか、偶然仕掛けているのかはわからないが、
自分もしかり、しっかり、多くの人がはまっていると
陽の高いうちから、ビール箱の椅子で焼き鳥片手にコップ酒を楽しむ人たちの
笑顔をみて強く実感する。

 

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「僕に、会社経営は無理だったのか・・・」

1997年5月、筆者は当時人気が出つつあった移動販売料理車のブームに乗ろうと、移動販売のたこ焼き店のフランチャイズに加盟。スーパーなどの店頭で、たこ焼き店を開店しました。はじめは順調に売上を伸ばすことができました。

しかし、その4年後。
数年の不漁のためタコの原価が高騰したのに続き、小麦粉の原価も高騰してしまいました。それに加えて、スーパーの店頭の出店料も上がってしまいました。たこ焼き店は、利益が出ない商売になってしまったのです。
そのうえ、スーパーの近所の大型工場も閉鎖になったため、客数がひどく落ち込んでしまいました。さらに、強力な全国チェーン店ができて勢力を伸ばしつつありました。移動販売車の仲間もそれを見越して続々と閉店していったのです。

「僕も生活ができなくなる。けれどどうしよう。分からない。打つ手がない……」

悩みぬいたある夜、結論を下しました。

「しかたない、閉店だ」

2001年6月に私は、4年間営んだ自営のたこ焼き店を閉店しました。
悔し涙を流したことを忘れません。

あれから20年近く経ちます。

たこ焼き店を閉店した後、筆者は当時ITバブルに湧いていてほぼ誰でも就職ができたIT業界に進みました。IT業界に進んだ理由は成功する企業が続出していたIT企業のビジネスモデルを知りたかったことと、システムを止めることが許されないシステムエンジニアの論理的思考や危機管理方法を学んでから、再度独立をしたかったからです。

IT企業で12年エンジニアとして働いていましたが、ある日筆者を含めた100人以上いたプロジェクトメンバー全員がインドへの業務移管のためにリストラされ、さらに筆者は腸が破れて下血する大腸憩室炎と満員電車で息苦しくて倒れてしまう症状などが重なり退職することにしました。その後に体調は良くなりましたが、もう満員電車には怖くて乗れないため、2013年にWeb専門のコンサルタント&セールスコピーライターとして再度起業しました。そしてIT時代に将来の独立に備えて小さな会社でも使える様々なビジネスモデルを研究しておりましたので、この本の第3章に記載した「55のビジネスモデル」を巧みに組み合わせて販促をすることで、その後累計で3億円の販促売上を達成。現在は売上アップのお手伝いをする「ビジネスモデル作りの専門家」として、中小企業・個人事業主へのコンサルティング、セミナーをしております。

筆者が考えるビジネスモデルとは、
1.お客様の信用残高を増やしながら、どのタイミングでどうお客様からお金をいただくかを様々な組み合わせをすることで設計すること

2.回せば回すほどお客様に喜ばれながら、利益が積み上がる仕組み
というものです。

本書では55個のビジネスモデルの中から、効果のあるものを巧みに組み合わせて成功した事例を多数紹介していきます。

今は良い商品・サービスが溢れかえる時代です。しかし、そうした時代であっても、実はビジネスモデルを上手に組み合わせることで、ライバル会社との差別化・新しい市場の開拓・高収益企業を作ることが可能です。

逆に、ビジネスモデルを組み合わせないと、お客様側からライバル会社と同じような会社に見られるため、ライバルにお客様を奪われたり、値引き合戦に巻き込まれたり、ひいては私が開業していたたこ焼き店のように企業経営の持続が難しくなったりしていくことでしょう。

本書で気になったビジネスモデルがあれば、1つでも2つでも結構ですので、貴社のビジネスに組み合わせて導入していってください。

著者について

大学卒業後、安全靴の営業マン、老人ホームの調理師、たこ焼き店の経営をした後、ニスコム株式会社(IT技術者のアウトソーシング会社)に転職。IT業界で12年間システムエンジニアとして、IBMやヒューレットパッカードなどのITプロジェクトに従事。ビジネスモデルの改善の成果が認められヒューレットパッカード社よりシャイン賞(外部の優秀なメンバーへの特別表彰制度)を受賞。

その後、パニック障害と大腸憩室炎を併発し、2カ月間の療養生活を経験。「もう腸に負担がかかる満員電車には乗れないから何の仕事をしようか」と悩み、12年間培ったIT技術とビジネスモデルの研究と売れるコンセプト分析の経験を活かして、Web専門のコンサルタント&セールスコピーライターとして起業。
プレイクまで2年間かかるも、その後の2年半で累計3億円の販促売上を達成。現在は売上アップのお手伝いをする「ビジネスモデル作り」の専門家として、中小企業・個人事業主へのコンサルティング、セミナーに精力的に活動中。200工程にも渡る細かい販促工程表や再現性の高いテンプレートを多数作るので、IBMの人工知能名(IBM Watson)になぞられてワトソンというニックネームで呼ばれている。

著者略歴

藤村/しゅん
キャンドルライト株式会社代表取締役ビジネスモデルサイエンティスト。1969年、神奈川県川崎市生まれ。成城大学経済学部卒業。たこ焼き店の経営等をした後、IT業界で12年間システムエンジニアとして、IBMやhpのITプロジェクトに従事。その後、腸に穴が開く病気等で2カ月間の療養。12年間培ったIT技術とビジネスモデルの研究の経験を活かして、ビジネスモデル改善コンサルタント&コピーライターとして起業し累計3億円の販促売上を達成。現在は売上アップのお手伝いをする「ビジネスモデル作り」の専門家として、中小企業・個人事業主へのコンサルティング、セミナーに精力的に活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 

 

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