「善とは何か: 西田幾多郎『善の研究』講義」
大熊玄
新泉社
https://www.amazon.co.jp/dp/4787720058
人というのは、希望があると頑張れるものです。
ただ、黙々とレンガを積むだけの作業は苦痛でも
レンガを積んで、お城になる。
レンガを積んで、◯◯ができる。
という希望があると頑張れます。
今、YouTubeなどで、スポーツ選手、ミュージシャン、アーティスとらが、おうちでの過ごし方を提案したり、歌で表現したり、
そんな様子に心を打たれるのは、
「一人でない」
「自分も頑張る」
という気持ちにもなりますし、
その人たちの姿勢や、勇気に心が動かされるからだと思います。
著者の存在も、そんな人たちと同様の役割があります。
著者の生きる姿に、
読者は心動く
と感じます。
例えばこちらの本
「親の介護、それでも人生思い通り!~ちょっと待った、その介護離職~」
https://jdiscover.jp/bookreview/cat01/oyanokaigo/
30年、家族4人の介護をしてきた著者からの提言とノウハウは説得力もあり感動もあります。
「交通誘導員ヨレヨレ日記―当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます」
https://jdiscover.jp/bookreview/cat03/yoreyore/
こちらも、73歳の警備員のよれよれブリが、共感を呼びます。
著者を含め、人の心を動かす、発信をしている人に共通するのは。
自分の理念・哲学があるということだと思います。
自分の「軸」のようなものですね。
さて、表題のこの本
「善とは何か: 西田幾多郎『善の研究』講義」
この中で、色々印象的なことはありますが、面白いなと思ったのが「しんどいことをあえてやる」ことの必要性です。
村上春樹が
「職業としての小説家 」
https://www.amazon.co.jp/dp/4101001693/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_D.vPEbHJYC637
の中でも同じようなことを言っています。
さっくり書けば、あっという間に終わってしまうような出来事を一冊の小説にする作業。
えんえんと、「例えば」の話を連ねる根気強い作業が小説家には必要。
ロープウエイで、上がれば簡単に登れるところを、山に、登山する意義。
登っても降りるのに登る意義。
ディズニーランドは楽しく安全だけど、あえて山に登る意義とちょっと似ているかもしれません。
著者になるというのもちょっと似ているかもしれません。
今、ネットでの発信、上手なマーケッターの人、広告代理店の人に、お金を出して、頼めば、商売はできるかもしれないのに、
あえて、本を書くという山に登る作業をする。
これは、「哲学する」ということともとても似ています。
でも、この本で言っているのが
「考える」ことの重要性。
安易な答えをすぐ求めるのではなく、自分での目で見て、自分の耳で確かめて、自分で考えて判断すること。
ずーっと考え続けること。
今の時代は、情報が多すぎて、また、すぐに、結論を求める傾向が多くて、考えることをどんどんしなくなる傾向にあるように思います。
また、答えを外に求める人が多いように思います。
それが、著者になるというのは、自分の答えを考え、さらに、読者に共感できる、言葉・文章で伝える訳です。
答えを、ゆっくり、きちんとちゃんと考える。
これは、今の時代、とても大事だと思いませんか?
ネットのニュースというのは、フェイクニュースの方が先にバズるという統計が出ています。
それだけ、人というのは扇動されやすいということです。
時代の転換期だからこそ、自分で判断できる人になる
ということが求められているのだと思います
(終)
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